それはストーリーがまったくなく、
あまりに透明だから何色にもなれ、
まったくの静けさだから、いかなる音も鳴らし出す
今という時間のない永遠のなかで
無限の時が流れる
それが真のあなた
あらゆるすべてで、どれでもなく、
言葉に表せなくても、否定しようがなくある
ここに
今ここに!
非二元の話は、時によってただ言葉遊びをしているように聞こえるかもしれません。まるで、意味のないことをもっともらしく書いているかのように。
でも、真実の理解が難しいのは、私たちに深く刷り込まれた二元的な見方で捉えようとしてしまうから。つまり、“私”を中心とした主体と客体の世界観で考えてしまうからなんです。
例えば、“本当の自分”、“真の私”、“真我”といった言葉。
こういった言葉を聞くと、“私が”本当の自分になる、“私が”真の私とつながる、“私の”深いところに真我があると、私たちは“私”中心に考えがちです。
しかし、本当の自分とは、その“私”の崩壊によって見えてくるのです。もっと正確に言えば、“私”など存在していなかったと見抜けたとき、主体と客体というパラダイムも消え、無限の生命のエネルギーだけがあることを認識するのです。
そ してまた、“真のあなたは無限の生命のエネルギー、すべては愛である、分離は幻想”といった言葉を聞くと、あなたはどんな状態をイメージするでしょうか? きっと今の状態とは違う何か至高の世界、恍惚とした状態、または穏やかな平和な状態などをイメージするかもしれません。
しかし、本当の自分にしっかり寄り添ったとき、何気ない日常の風景のどこに目を落としても、あなたはそこに親密さを見るはずです。どこを見ても、太古の昔から知っていたようななじみのある感覚。
自分から一度も離れたことがない感覚、決して特別な状態ではなく、今ここに普通に流れている出来事。その隅々に行き渡る親密さ。そして、それが真のあなたなんです。
私は苦しみに終止符をつけたくて、悟りを求めた。
そのうち、自分がいつも心地良くいたいだけなのだと分かった。
自分に何度も問いかけ、やがて真実を知りたいと純粋に思うようになった。
そのうち、自分が最高の真実を得た人になりたいと思っていることに気づいた。
唖然とした気持ちの中に、その自分が消えていった。
そして、ただひたすら真実を求めた。
そのうち、自分が真実に近づいているかどうか気にしていることに気づいた。
その自分が落ちたとき、深い安堵感が軽やかに広がった。